高校留年から全てが始まった!!

人生どん底のアラフォーがそこそこ楽しく生きている、適当な雑記ブログです。

離島に移住計画が進みだしました。

 前回のブログからかなりの時間が経ってしまいました。

日常も仕事も特に変化がなく、書くネタもなくサボってただけですが、、、

ちょこちょこ情報収集(主にYouTubeを見る)していた、

移住先候補の小笠原諸島 父島について

少し進展がありました。

 

たまたま検索でひっかかった求人の会社に連絡をとってみたところ、

すぐに返事をくれて好感触でした。

メールでのやりとりだけですが、

コロナが収束したら一度東京でお会いしましょう!

という約束までいただけました!

自分のなかで一番不安だったのは、

仕事と住むところがあるかどうかだったので、

大きな1歩を踏みだせた感じです。

働くことになれば、寮も用意してくださるそうです。

 

ただ、貯金が絶望的にないので、

来月から給料のいい会社で働くことに決め、

貯金をなるべく頑張ろうかと。

 

今後の流れは、

とりあえず東京で一度担当の方とお会いして、

現地の父島へ職場見学に向かう予定です。

移住したはいいが全く仕事ができないポンコツだと

困るので、慎重に検討しようと思います。

 

 

無職旅 musyokutabi - YouTube

最後に父島がどんなところか、旅の様子を

YouTubeにアップしている方がいました。

保管用に貼り付けします。

自転車通勤片道20キロ。

無職からクラスチェンジして、
早2ヶ月。

だぶついた腹が気になりだしたため、
出勤二日目から片道20キロの自転車通勤を
ダラダラ続けております。

勤務先の工場に行くまで、
山沿いの狭い道を走るのですが、
みんな恐ろしく車の運転が荒い!!
後ろから激突されたら即死レベル。

そんな道をたった1台ロードバイク
ちんたら走っているので、
ラクションの一つや二つ鳴らされるの
かなと、最初はヒヤヒヤで走っていました。
そのため車がきたら無条件で路肩に
避けていたら、最近お礼のウィンカーやら
ラクションを鳴らしてくれる車が
ちらほら出てきました。
譲り合いは大切だなーとつくづく感じました。

ただ、このクラクションやウィンカーは
純粋な優しさの表れなのだろうか?
と疑問にも思っています。

日本人優しい!譲り合いの精神をもっている!
と大絶賛な番組が多いなかで、
自分はモヤモヤしていました。
周りにそんな優しいやつなんいねーよ!
と。

今回転職して、そのモヤモヤが
なんなのか分かった気がします。

下の立場の人がペコペコしてきたら、
気分よくなって少し余裕がでてきて、
優しくなれる。ただ少しでも自分より
上をいこうとするものは、全力で足を
引っ張るんじゃないかと。

まーみんながみんなそうではないと思うけど、
やっぱりそういう人が多いのかなと。

職場でもわざと仕事を教えず、
サボるよう促す人や、
知識をひけらかすが
肝心なところで役立たずな人が
なんと多いことかと。
今の職場も愚痴のオンパレード。
そんななかで僕は徹底的な弱者を
演じて、好感度を上げるという
非常にゲスな戦法をとっています。
全て知りません!できません!
教えて下さい!で通してます。
そうすると、相手の警戒心が解け、
仲間入りを容易に果たすことができます。

仕事終わりのロッカーで反吐がでますが、
帰りに20キロ自転車漕いだら、
反吐が出尽くしさっぱりします。

そんな職場で自分がひねくれてるから、
通勤時の見知らぬ車の優しさでさえ、
疑ってかかるようなヘドロ野郎に
成り下がってしまったのかと。

どんな環境にいてもスイッチ切り替えれる
ようにならないとダメですね、、、

移住先の決定、そして目標。

前回のブログで移住したいなーと少し
書きましたが、移住したい先が自分のなかで
決まりました。

それは小笠原諸島の父島です。
一応東京都らしい、、、
東京から船で28時間くらいかかるらしい、、、

実は以前からこの島の存在は知っていました。
というのも、数年前に
ある転職サイトからの求人案内で、
父島の会社からスカウトメールがきたのが
きっかけでした。

その当時は、
まだ新しい職種に転職したばかりで、
離島なんか嫌だ!!資格と経験を積んで都会へ
行くぞ!と意気込んでいますした、、
数年後の今、見事に挫折していますが、、、

最近ふとそのスカウトメールが気になり、
調べたところまだ求人がでていたので、
今年いっぱい準備して受けてみようかなと。
父島について調べてみると、
移住者が意外と多く人間関係もさっぱりしている
模様。イルカやクジラもいるらしい。
これはいい!!仕事もある!
ということで即決定。


目標としては貯金100万と資格取得。
今現在貯金は15万しかありません(笑)
資格の勉強も滞っております、、
最悪試験に落ちても来年には移住かなと。
そのため、挫折しないようにブログに
準備の模様を書き留めようかなと。
需要があるか分かりませんが、
相変わらずのふらふらした
雑記ブログになりそうです。

無職ではなくなる そして移住したい。

久しぶりのブログです。
前回何を書いたかも忘れ、
完全に放置状態。
いつまでも無職でいるわけにも
いかず、なんとか職にありつけました。

試験に落ちてやる気を失っているなか、
適当に応募したとある施設の
設備管理の会社から内定をもらい、
そこで現在も働いています。
かれこれ4ヶ月以上が経ち、
やっと仕事にも慣れつつあります。

ただ、もう今住んでいる地元に
飽きました。生まれて30年近く、
県外で生活したことはなく、
ずっと県内をぐるぐる
引越ししているわけです。

というわけで今年中にお金を貯めて、
資格も取得しどっか離島へ
引っ越ししようと思います!!
現在の貯金は10万円、、、
何かあれば即破産ですが、
とりあえず100万くらいあればいいかなと。

結構意志が弱い方なので、
ブログで移住の準備とかの記録綴っていって、挫折しないように頑張ります。
まずはどこに移住するか選定しないと、、、

というわけで
ご覧いただきありがとうございます。
それではまた!



無職 試験に落ちる そして燃え尽きる

こんにちは!


前回のブログでも書いた、

資格試験ですが、不合格でした!

あと二問正解していれば合格だったので、

非常に残念です。


試験の後、じゃあ何してんだ?

と言いますと、チャンネーの店に

行きまくっていました。

もう試験が惜しかったのがショックで、

飲みまくってました。

カラオケ歌いまくってました!


そのせいでお金が思ったより

早くなくなり、ちょっとやばいです。

思えばいつも無計画で行き当たりばったり。

あと1カ月分の生活費しかないので、

工場かどっか期間工で勤めようかなと。

そして、来年の試験まで

また勉強しようかなと。


そういえば、行きつけのチャンネーの

店の、仲良かった子が独立するらしい。

二十歳そこそこでお店持つって凄いですね。

夜の世界の人は本当に逞しいです。

あるチャンネーも、

人生やり直すために30歳で、

実家をでて県外の店に行く予定だそうで。

普通だったら結婚に逃げようかなー、

とか思うのに本当に逞しいです。


自分は本当になにやってんだかです。

私も小笠原諸島あたりに移住したいなー。


というわけで、仕事の面接行ってきます!





無職はプレッシャーに弱い。

9月1日の電験という資格試験に向けて、
勉強を進めていますが、
(収入がなく、落ちたらどうしよう、、、)
という不安が、
思った以上に精神的にくるものがあります!
そして、ぽっきりと心が折れてしまい、
勉強の手が止まってしまいました、、、

電験というのはあだ名みたいなもので、
正式には、「第三種電気主任技術者
という名前の資格。
合格するには、受験科目である4科目を全て、
三年以内に合格するという決まりがあります。

しかし、理系の資格ということで、
計算問題が多い、、、
中学のときも数学は全く理解できず、
テストの点数は常に一桁。
高校もレベルが低く、
物理の教科はもとからありませんでした。

苦手な数学を勉強するのは、
とても苦痛です。
しかし、この資格をとって、
経験を積んでいけば、どこでも就職が
できます。
電気はどこでも必要とされているので。

この資格がとれたら、
どっか他県の海沿いか、離島に移住して、
犬を飼ってひっそり暮らすという、
密かな夢があります。
まーいつになるか分かりませんが、、、

とにかく今日もできるだけ勉強するか、、、

無職 実家帰省せず。地元が嫌いの巻

無職。ニート。働かない。毎日日曜日。
憧れの日々のはずでした。
もう飽きました!はい、、、
変化のない日々はなかなかきついです。はい、、、

そんな中、世間は大型連休。
私はというと勉強があるため、
実家へ帰省せず、1人アパートへ篭っています。
友人も少ないうえ、
なんのイベントも起こらないので、
もう飽きた!!を毎日100回くらい、
心の中で呟いています。

今日は私が住んでいた地元のこと、
そこをでるきっかけを
作ってくれた、先輩について書こうと思います。

当時、プロアルバイターだった私は、
実家暮らしで、
週5くらいのシフトでレコードショップに
勤めていた。
プロ歴5年目くらいのときだった。
もうはっきりいって仕事にも飽きていた。
音楽はもうお腹いっぱいだ。
そんななか偶然上京していたはずの
地元の先輩が、お店にやってきた。

先輩 「SSくん!ここで働いてたんですか?」
(先輩はとても礼儀正しい。いつも敬語だ)
私 「そうっす!久しぶりですね!帰省中ですか?」
先輩 「いやいや、家業の夜のお店を今やってて。
よかったら今度きて下さいよ!」
私 「先輩の家、お店やってましたもんね!
今度行きます!」

そんな適当な当たり障りのない会話をして別れた。
先輩とは正直あまり喋ったことがなかった。
私の友人が仲がよかったため、横にいた私は、
ついでに会話するくらいの仲だった。
(まー最近暇だし、気が向いたら行こうかなー)
くらいに思っていた)

私はバンドを辞めてから、
めっきり人と会わなくなっていた。
周りにいた知人も、高校から
入れ墨を入れていた人や、
ポッケにいけないものを
たくさん入れているような人ばっかりだった。
そして私の住んでいる地域も、少し治安があれだった。
バイトの帰り道に、近所の家が家宅捜査中で、
前を通りかかったら職質された、というのが
何回かあったりした。
また、昼間に近所のばばあとオカマの間で、
仁義なき戦いが勃発し、パトカーがくるなど、
かなりあれな地域だった。

小心者の私は、
そんなアウトローな部族のコミュニティに
入ることもできず、
日々趣味のラーメンの食べ歩きと、
読書に勤しんでいた。
私はなぜか、アウトローがかっこいいとは
思わなかった。
根本的には、一緒にバンドをやっていた、
カート君のようなやつばっかりだったからである。
周りに見栄をはり、自分が属している
グループや、車や服を自慢するというのが
心底嫌だった。
謙虚になれよ!と
マネーの虎の社長のように一度怒鳴りたかったが、
知り合いのアウトロー
いざ会うと、ヘラヘラしながら、ですよねー
と言っていた。
しかし、それがサラリーマン生活に
大いに役立っている。
わたしには、生まれつきの米つきバッタの
才能があった。まさにバッタの生まれ変わりだった。

そんな居場所のない日々を送っていた
ある日、ラーメンを食べた帰りに、
先輩の店の前を通りかかった。
(暇だし、行くって言っちゃったしなー)
と思い、何気なくお店に入った。

先輩「おぉーSSくんよく来てくれたねー」

と笑顔で迎えてくれた。
先輩のお店は、バー以上ガールズバー未満の
よくわからん店だった。
女の子はカウンター越しにいるが、
別にセクシーでもない。
スナックに似た気軽な雰囲気のあるお店だった。

時間はまだ6時ごろで開店準備中だった。
店内は先輩1人。
それにもかかわらず、先輩は、
「何か飲みますか?」と水とおしぼりを
出してくれた。私は夜のお店に来たことがなく、
お酒もよくわからなかったため、
とりあえずコーラを注文した。

先輩は地元の周りの人と明らかに雰囲気が
違う、と思った。外見も普通で謙虚。
なんというかやわらかな感じがした。
その後、先輩と話して、地元に帰ってきた
いきさつなんかを聞いた。
こっちに帰ってきて数年経つこと。
父親が病気でお店を継ぐこと。
東京に10年くらい住んでいたこと。
いろんなことを話してくれた。
2時間くらい喋ったところで、
開店時間がきた。
女の子も出勤してきて、
お店も騒々しくなってきたので、
その日はコーラをたらふく飲んで、
お金も払わずに帰った。
先輩が、お金はいいからと言い、
5杯くらいコーラをご馳走になった。

その日から週4くらいで先輩のお店に
行くようになった。
店に来る客は女の子目当てだったが、
私は先輩と話すのが楽しみだった。
先輩も地元に生きづらさを感じている
1人だった。

地元では、近所との距離が近い分、
戦時中の隣組のような監視体制だ。
老若男女すべての世代が噂好き。
常に他人や周りを気にすることに、
先輩や私も嫌気がさしていた。
テレビで田舎がいいとか言うが、あれは
田舎民のよそ行きの顔だ。旅行者には優しい。
いざ、都会から移住しようものなら、
マウントを取りたがる。
しかし、そんな田舎に移住してくる人の
中にもクズが混じっている。
都会で流行っていたおしゃれカルチャーを
持ち込み、それを宗教のように広めて、
教祖になりたがる。
そんな輩の周りに、
これまたおしゃれぶった田舎モンが派閥をつくる。
そんなところへ怪しげなコンサルがやってきて、
みんなで公的資金をひっぱろうとする。
それに地元の半グレ議員がのっかり、
見事税金ゲット!!
のような構図ができあがっていた。
まるで戦後のヤクザな土建屋みたいだ。
しかし、建設業なら何か建物はできるし、
あとあとになって目に見える形で残る。
ハコモノ行政だ!と言って批判もできる。
そして役にたつものある!
昨今のよく分からんコンサルの企画ものは、
偉そうなこと言って頓挫して、
結局、知らない間に閉店ガラガラでとんずら。
まるで詐欺だ。

その周りにいる人達は、
決まって地元愛を口にする。
しかしそれは嘘だ。
結局週末は、どこかの都市部へとでかけて、
そこで消費する。地元は衰退するばかり。
地元では声や態度がでかいやつが得をする。
そして肩書きだけで、みんなコロッと騙される。
そんな状況が嫌だった。

先輩も、地元のことを同じように考えて
いたことが嬉しかった。
みんな、甘い汁が吸いたいし。見栄を張りたい。
マウントとりたい。という感情ばかり
先行しているように思えたと。

しかしそんな話を先輩としていると、
いつの頃からか、危機感を感じるようになった。
自分はここにいても居場所がないなと。
そして、不満言っててもなんにも始まらないなと。
先輩も一度は、
他のところで一人暮らしをした方がいいと
アドバイスをくれた。

そんなこんなで、少しづつ準備していき、
今は遠く離れた都市部で、
なんとか生活できています。
もう実家には、3年近く帰ってません。
あの時、先輩と会わなければ、
地元に疑問を持ちつつ、
ダラダラと今でも住んでいたかもしれません。

そんな先輩は僕よりも何枚も上手で、
地元で結婚して、時々浮気して
仕事もうまくやってるそうです。

今日はこんなところで。
読んでいただきありがとうございます!
それではまた!