高校留年から全てが始まった!!

人生どん底のアラフォーがそこそこ楽しく生きている、適当な雑記ブログです。

無職×時間=不安

かれこれ無職になって2週間、

せっかく買った自転車にも乗らず、

9月にある資格試験に向けて、

毎日セコセコ勉強しております。


ただ、目標があるとはいえ、

どこの組織にも属さず、

一日のうちに喋る相手といえば、

近所のほか弁かセブンイレブンの従業員だけです。

そんな毎日を過ごしていると、

ほとんど1人の時間なわけで。

圧倒的暇時間があると、

常に不安が付きまといます。

そんな中、元職場の方々と

飲みに行ってきました。


特に仲のよかった、

上司のおじいちゃんから、

飲み会の誘いがありました。

勉強に手詰まりを感じていたので、

気晴らしになるかと思い行きました。

メンバーは元上司2人と同僚2人に、

自分を含めた5人。

私がいた不動産関係の会社ですが、

そこそこ規模の大きな会社でしたが、

離職率がめちゃくちゃ高い!

私が辞めるときにいた部署も、

一年の間に10人は

退職や異動がありました。 

因は、上司のパワハラ・激務・

激務・パワハラの日替わり定食。

更に日によっては、

サービス残業が付いてきます。

そんなのを毎日食べていたら、

身も心も持たないわけで、

私も会社を辞めたわけです。


メンバーですが、


■元上司・・・温厚な定年間近の

       おじいちゃん

■元上司②・・若手有望株。何か困った事があったら一番にこの人に相談。

■元同僚・・・遅刻癖あり。イケメン。

■後輩・・・新卒入社2年目。仕事を全く覚えず、毎日怒られていた。変態。

ちょっとここでは書けないくらいの。


とりあえず生で!的なかけ声とともに、

適当に職場の話題になりました。

私が辞めてから、

ますますパワハラ上司の態度が

酷くなり、変態がそのターゲットに

されているそうだ。

ー変態も仕事覚える気がないので、

あまり同情できませんが。


変態は、

1ヶ月あれば余裕でできる

提案書の仕事を放置したあげく、

顧客がくる10分前に気づき、 

「SSさん提案書の作成忘れてました。

     今から作って下さい!」

と驚愕の依頼をしてきた男でした。

その後、横で聞いていた

パワハラ上司に怒られ、

手ぶらで行ったために、客先でも

怒られるという悲惨なことに。

その10分後に平然と下ネタを

楽しそうに同僚と話しており、

パワハラ上司に胸ぐらつかまれて、

トイレの個室(通称 説教ブース)

へ連行されて行きました。


その下ネタの会話の相手がイケメンでした。彼はもっと凄い男でした。

5日間連続無断欠勤後の6日目に、

ケロッとした顔で出社した、

伝説の記録保持者です。

連絡がとれず、

心配した顧客と一緒に、

自宅に突撃したこともあります。

また、飲む・打つ・買うを

じでいく男で、各種公共料金を

滞納しており、

時折会社へ催促がありました。

今の日本のサラリーマンで、

こんなアウトロー

見たことがありません。


こんなモンスターが平然とうろつく、

ダンジョンのような部署です。

異動・中途採用の仕事のできる人や

私のようなパンピーでは

太刀打ちできず、

軒並み戦いに敗れていきました。

かろうじて仕事が回っているのは、

おじいちゃんとやり手上司の

おかげでした。

モンスターを仲間にしつつ、

馬車に乗せ、自分達は率先して

戦闘に参加する、まさに勇者でした。

ちなみに私は、馬車と戦闘の割合は、

6:4くらいの比率でした。

早く人間になりたい、、、

そんなおじいちゃんとやり手上司も、

ストレスからか、ベロンベロンに

酔い、バカ話をしたり、

過去の仕事の失敗話をしたりして

盛り上がりました。

2人は愚痴のようなことも言わず、

本当に出来た人だなと。

会社は、二割か三割の

スーパーマンで成り立っているのは、

やはり本当だと身にしみました。


その後二次会は、

おじいちゃん行きつけのスナックに

行き、ベロンベロンに酔っていた上司2人が、ずっとカラオケを歌うというサラリーマン王道の流れで、飲み会の幕を閉じました。


会社にいた頃は、

不満に思っていたことが、

今ではあまり気にならなくり、

少し寂しい気持ちにさえなりました。

組織に属して上司の下で働き、

毎月決まったお金が

ってくるというのは、

やっぱり安心感があるなと。

「このまま行けば、昇進できたのに」

とおじいちゃんに言われて、

ちょっと後悔もしました。

退職した理由も、

何が決定打だったのかも分かりません。

結局、変態やイケメンと違って、

適性がなかったのでしょう。

なんだかんだで、変態やイケメンは

退職を考えたことはないそう。

心の痛覚というものが

欠落しているのでしょう。 

ストレス耐性はサイヤ人並みです。


昨今、ノマドとか副業というなの

自営業がネットを賑わせてますが、

サラリーマンの中にも色々な

人がいて、そんなに悪くないかも。

と思う今日この頃です。


読んでいただきありがとうございます。

それでは!!

高校卒業してその後②

無職になって完全に昼夜逆転してしまいました。

そして四六時中眠い!そんなニートな時間のなかで、

前回の昔話の続きをちょくちょく書いておりまして、

よかったら読んで下さい。

嘘事件のあと、、、

カート君の難病嘘事件のあと、
ほんの少し残っていた音楽へのやる気が、

私は完全になくなっていた。

そして、カート君がドヤ顔でギターを弾き歌っている姿に、

心底嫌気がさしていた。

バンドの練習中も、ずっと心の中で、

(インチキ野郎、インチキ野郎、、、)

と悪態をつく始末

そんな私の心のうちは、カート君へは

伝わらず、ツアーでようとかCDだそうとか、

大風呂敷をめいっぱい広げていた。

 

そんな私の情熱はというと、

音楽からラーメンの食べ歩きにかわっていたのである。

そして大槻ケンヂのエッセイにもハマっていた。

バンドマンでありながら、変にかっこつけず、

ユルイ感じのエッセイに私は癒されていた。

地元のバンド村はおろか、自分がいるバンドにも馴染めず、

仕事もプロアルバイター

私の心の支えは、いくつかのラーメン屋と、

大槻ケンヂ氏のエッセイだけだった。

 

そんな精神状態では、当然バンドは続けられず、

練習を何度か無断欠勤したのち、自主退職を申し出た

メンバーからは、「これからが勝負でしょ!お前しかいないんだ!」

ブラック企業のような熱いひきとめがありましたが、

ヘラヘラとかわしつつ、最後のライブを終えて無事退職。

晴れてバンド村ともおさらばだ!と清々しい気持ちで、

ハードオフへ機材一式を売りに行った。

バンド辞めたけど、、、

晴れてバンドは退職できたものの、

プライベートも仕事も、相変わらずパッとしない自分に

焦りがあった。もう私もアラサーだ。

そんな時期に兄が親戚の会社へ、

コネで入社することが判明。

私はメチャクチャ嫉妬した。

 

私の兄というのは、歳が2つ上で、

私とはまた違ったタイプのクズであった。

高校を中退しており、

地元のヒップホップ村の村民として活動していた。

プータローとの兼業スタイルだ。

車も親から買い与えられ、プータローにも関わらず、

1ヶ月で一万キロ近く走るという偉業も成し遂げていた。

夜な夜な自宅に村民を招き、お祭りも開催していた。

私とは違い、とても社交的なクズであった。

 

(そんなやつがなぜ!私は微々たる金額だが、

毎月実家へ納税もしている。コネで入社させるべきは私だ!)

 

しかし時すでに遅しで、兄はあれよあれよという間に、

コネ入社のため、引っ越しをしてしまった。

引っ越し代も両親がだしていた。

そして今現在、兄は消息不明になっている。

元気に過ごしていればいいのだが、、、

資格取得

そんな焦りのなか、どうしていいかわからない日々が続いていた。

そんな中、ネットで宅建の講座の

広告が目に入った。

(学歴も職歴もなければ資格だ!)

そう思った私は、すぐさまその講座を

購入し、半年後の資格試験に合格。

その後もいくつかの資格試験を受け、

不動産関係の管理会社に転職できた。

そんな会社も先日辞めたのですが。

 

資格試験を受ける間にも、色々あった。

実家の事業が傾き、家族が不和になったり、

彼女ができてヒモ同然の生活をしてみたり。

また気がむいたら書こうかなと思います。

読んで下さった方、ありがとうございます。

それではまた!

高校卒業してその後①

8月から無職になり、毎日ぐうたらしている。

9月にとある資格の試験があるため、なるべく勉強しようと思うが、

なかなか思うようにできておらず、焦るばかり。

ついついPS4のコントローラーを握り、Far cry 4をやってしまう。

パガンミンのようなめちゃくちゃで繊細な人生、ちょっと憧れるな。

 

今日は、高校を卒業してからのことを少しかいてみようと思います。

高校卒業してから

留年し惰性で行くと決めた高校もなんとか卒業できた。

ただ、惰性で高校に通っていた私は、進路については

真剣に考えず、「音楽好きだから芸大行って、

一発でかい山あたるべ」と安易な発想に。

当時の私は少し楽器をかじっていて、

バンドの真似事のようなものをしていました。

楽器を始めたきっかけはモテたい。ただそれだけでした。

 

無事、進学先にも入学できバイトも決まり、

ここからリア充ライフに突入だ!と思っていました。

この時までは、、、

そんな安易な発想で大した覚悟もないもんだから、

たちまち講義についていけなくなり、

だんだん大学からも足が遠のく。

当時の私は、音楽を志していたにも関わらず、

音符は読めない・リズム感はない・協調性がないetc

と、本当になめきった学生でした。

とある講義でも、中学生レベルの読譜ができず、

教授から「お前頭大丈夫か?担架で保健室運んでもらうか?」

と、ひどい怒られ方をした。

大学中退、、、

そんなことでは続くはずもなく、

1年たたず中退しました。

留年して中退という最悪のコース。

残されたのは地元のレコードショップのバイトと、

ちんけなバンド活動だけでした。

当時はちょっとしたバンドブームで、

地元でも雨後の竹の子のように色々なバンドが誕生していました。

そんなローカルバンドのコミュニティの、

下の方でうろちょろしていた私は、

とんだ勘違いバンドごっこ野郎でした。

深夜ファミレスで、バンドのメンバーと熱く夢を語り合い、

カートコバーンがどうだったとか、

トムヨークがどうしたとか、チベットがあーだこーだと、

こじらせのたまわっていました。

一方バイトのほうはというと、

適当にやっており、コミュニケーション能力もない。その結果

発注ミスや、電話対応でクレームを受けたりしていた。

あまりのひどさに、他の年下バイト君が気遣ってくれて、

呑みに誘ってくれる始末。マジでどうにもならん問題バイトでした。

 

人生の転機

 

そんな実家に寄生フリーター生活を、

実に8年費やしました。

8年あったら社員や店長になれるだろ!と思う方もいるでしょう。

しかし私は違う。プロアルバイターのままだ。

当時続けていれば行きつくさきは、ピザキャップだっただろう。

後から入ってくる人たちが、どんどん社員になっていくなか、

ちんけなバンドにすがりついていた自分が

情けないと内心思っていました。

そんな中で、人生の転機が訪れました。

それは、当時のバンドのメンバーによるものでした。

夢からさめた!

4人組のメンバー中で、
ニルバーナ大好きのギターボーカルのカート君がいました。
何故かカート君から私は好かれていた。
私の必殺技である、

聞いてるようで本当は聞いていないフリと、
興味あるようで本当は全然興味ない

相づちが心地よかったのだろう。
ちなみにこの必殺技は、ナルシストと寂しいおっさん以外には、
全くもって通用したことがない。
そんなカート君は、イケメンでショップ店員で

オープンカーに乗っていた。
着ている服はジルサンダーだ。
それだけならよかったが、承認欲求が強く、虚言癖があった。
よく片親で苦労したんだぜ話を聞かされていた。
だが実際は、片親とはいえ一軒家の実家に住み、

何不自由なく過ごしていた。
自分が気持ちよくなるために嘘をつく。
若いころは、誰でもよくあることだと思って、

適当に聞き流していました。
そんなある日、バンドの練習終わりに、カート君からごはんに誘われた。
彼はいつも私と2人になりたがる。
必殺技が、ボディブローのように効いていた。
断る理由もなく、いきつけのファミレスに行くことに。
今日も聞いてやろうじゃないか、君の苦労話を。

カート君の嘘

だが今日は雰囲気が違う。深刻な顔をしている。

しばらくの沈黙のあと、カート君はこう言った。
「彼女が病気なんだ。もう助からないかもしれない」
私はどう声をかけていいか分からなかった。
カート君の彼女とは、

面識もあり何度か話をしたことがある。
つい数日前も会ったばかりで、
まさか病気をしているなんて思ってもみなかった。
「実は俺にも病気のことを黙っていたみたいだけど、
生存率の低い難病みたいなんだ。薬もないらしい」
そうカート君が言ったあと、肩を落とした。
最初は疑ったが、彼の深刻そうな姿を見て、

これは本当の話だと思った。
その打ち明け話のあと、しばらくカート君の葛藤を聞いた。
私は同情した。最後に、カート君が
「彼女に対して最後に曲を書きたい。
だからバンドも今まで以上に真剣にやりたいんだ!」

と言った。私もできる限り協力すると約束して、

その日はファミレスを後にした。

その1ヶ月後位に、カート君は宣言どおり新曲を完成させた。
甘酸っぱい愛の歌だ。彼女が聞く最後の歌かもしれないと思い、
私も真剣に練習した。しかし、カート君はあのファミレス以降、
彼女の病気のことについては、一切話をしなくなった。
私は彼女の病状が気になりつつ、デリケートな話なので、
聞くに聞けない日が何日が続いた。
ある日、バンドの練習のあとにカート君と2人になった。
なんともない流れで彼女の話になった際に、
思い切って彼女の病状を聞いてみた。
「最近彼女の病気は大丈夫?」カート君はしばらく沈黙した。
(やっぱり思い出したくないのかな)と聞いたことを少し後悔した。
するとカート君は軽い感じで、
「あ~あの病気ね。どうやら新薬が開発されて、
完治する確率は10%から90%になった!もう大丈夫だから」

私は衝撃を受けた。
またかっこつけたいがために、嘘をついたのである。
しかも自分の彼女を利用してまで。もう病気レベルだ!
人が持っている見栄をはりたいと思う気持ちに、ぞっとした瞬間でした。
私はそっと話題を変え、適当なところでカート君との会話を切り上げて、
その日はさっさと家路につきました。

 

ちょっと思っていたより長くなりそうなので、

続きはまた後日書こうと思います。

読んでいただいてありがとうございました!

 

ロードバイク買った‼(安いやつ)

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大阪市内のどっかの公園


Carry meを買って半年、やっぱ王道のロードバイクが欲しい!!

と思い立ちネットを見まくっていました。

素材はクロモリ(鉄パイプ)で、

そこそこいい変速機が付いたやつがいいな~、

なんて夢見てましたが、やっぱり高い!!

昔、アンカーの20万くらいのロードを平気で買おうとして、

友人に止められたあのころが懐かしい、、、

今は出せても10万円です、、、

知り合いにも相談しましたが、すごく高いやつばっかり

みんな乗っていたので、ちょっとあきらめてました。

なんかホワイトすんたらかんたらとか、フィルなんたらかんたらとか、、

部品だけでCarry meが買えます、、、

 

ところが!求めていた自転車がありました!

カンザキバイクという大阪のショップで、

セール中のクロモリバイク(コンポ105)が10万円以下!

また、衝動買いをしてしまった、、、

大阪まで自転車を取りに行こう!

 また買ってしまった、、これから無職になるのに、、、

破産まっしぐらか、、、人生終わった、、、

でも、そんな不安を上回る嬉しさ!

メールで受け取りはどうするか聞かれた際、

テンション上がって取りに行きます!と答えてしまいました。

後にめちゃくちゃ後悔することになります。

1泊2日の自走小旅行(1日目)

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明石海峡大橋

やってきました。当日が。

期待と不安でいっぱいの胸をどっぷりかかえ、

節約のため高速バスに乗り込む。

自宅の岡山まで約170キロ、ママチャリで走破した人のブログを見て、

余裕だな。とかバスの中で思っていました。

マジでどうかしてたな、、あの時の自分は。

バスは大阪に無事到着し、カンザキバイクエバーレ店へ。

店員さんに自転車を取りにきました、

と伝えると奥から持ってきてくれました!

これが私のロードバイクか!

とまたテンションが上がります。

ペダルはどうされますか?と聞かれ、

前から決めていた、三ヶ島のラムダを付けてもらいました。

あとは簡単な調整と、説明を一通り聞き、さあ出発です。

ショップの前の道を、試運転がてら走ってみたところ、

乗りやすいし変速機も調子いい!これは岡山まで余裕だな!、、、

とこのときは思ったのですが。

道がわからん!どこだここは!!

カンザキバイクエバーレ店を意気揚々と出発したのはいいのですが、

土地勘もガーミンもなく、道がさっぱり分からん。どこだここは。 

ずっと走っていれば岡山へ着くという、ウワサのあの2号線を探そう。

そう思い、止まってはスマホのマップを見るの繰り返し。

そのせいか全然距離が進まない。おまけに暑い。汗つゆだく。

そんな感じで1時間半かかってなんとか梅田に到着。

時刻は13時。腹ペコだが時間がない。

行こうと決めていた、人類みな麺類はスルーし先を急ぐ。

(おいおい、この疲労感は想定外だぞ、、)

早くも自分の決断に後悔しはじめたころ、

ロードバイクの洗礼を受ける。そう、ケツがめちゃくちゃ痛い!!

サドルが私のケツを突き上げてくる。

段差を乗り越える度に、容赦なく痛みが襲う。

おまけにケツを庇うように浮かせぎみで走っていると、

今度は背中が痛くなってくる。背中を庇うように

腕で体を支えていたところ、手のひらが痛くなる。

そんな負の三重苦に陥り、もはや岡山まで着く気がしないと、

めちゃくちゃく凹む。ネットで参考にしたブログの人たちは、

超人だった。その超人のように走ろうと思った、

凡人の私がばかだった、、、

1日目の宿泊先(姫路)へ到着

そんな三重苦を乗り越えなんとか姫路駅前のホテルへ到着。

最後の20キロくらいは、半べそで走ってました。

22時半にカプセルホテルへ到着し、へとへとでチェックイン。

90キロを10時間以上かけて走るという、どうしようもない貧脚具合。

それにしても腹ペコだ!しかし、時間が遅くどこも閉店ガラガラ、、

仕方なく自販機でカップヌードルと7up買って、遅めの夕食をとる。

明日はどうするか?このまま自走で帰るのか?それは嫌だ、、、

テレビでは、世界水泳選手権が放映されている。

そうあの手があった‼、、、(そんなにすごい思いつきではない)

フェリーで帰ろう!

1泊2日の自走旅行(2日目)

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小豆島 松月食堂のすじそば

結局自走は諦め2日目はフェリーでショートカットすることに。

・姫路 ⇒ 小豆島(福田港→土庄港までチャリ漕ぐ)⇒ 新岡山港着

このルートで帰れば、チャリを漕ぐのは50キロ以下。

今日は余裕でしょ!と思っていた。この時は、、、、

早速、ホテルを出発し姫路港に到着。

家族連れにまぎれて、

朝から汗だくのおっさんが一人フェリーへ乗り込む。

1時間半で小豆島へ到着。腹ペコのため福田港近くの、

月食堂というというところで、ラーメンにすじ肉の入った、

すじそばというのを食べた。これは本当においしかった!

醤油味の素朴な中華そばだが、なんか醤油の香りがすごくいい匂いだった。
すじそばに舌鼓をうった私は上機嫌。

(腹も膨れたし、昨日のような醜態を晒すことももうないだろう)

と意気揚々と福田港を後にする。

自分はなんて愚かだったのだろう、、、

なんだこのアップダウンは!

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小豆島

福田港から土庄港までは約30キロ。

走り始めて15分。前方に坂道が見えてきた。

ま~島で海岸沿いだし、すぐ平坦な道にでるっしょ!

そう思いおもいっきりペダルを回す。

105の変速機もスパスパ変速する。

(今日の私は違う。昨日90キロを10時間以上かけて走りきり、

全身にロードバイクの洗礼も浴びた。

このくらいの坂、へのつっぱりにもならない。)

そう、私はなめていた。なめきっていた。小豆島を。自転車を。

しばらく坂を登り、前方に見えるカーブの先が下りか?

と勝手に思い込みそこをゴールにした。

カーブ手前でスピードを上げて曲がりきると、、、

また坂‼ 坂である、、、、105 11速もすべて使い果たしていた。

私は自転車を降りた。落胆し登ることを諦めたのである。

(なんだこの仕打ちは!!神は私を見放したのか!!)

しかも運が悪いことに、

さきほど食べたすじそばが胃にもたれている。

目もチカチカする。ケツも背中も手のひらも痛い。汗だく。

直島・姫路とピンチを救ってくれたフェリーもここにはいない。

もうだめか、、、と愚痴を言っていても、

助けはこない。自業自得である。

なんとか最寄りの自販機までチャリを漕ぎ、

いろはすを頭にぶっかける。

そしてまた走る。またいろはすぶっかける。

坂おりて押す。そのくり返し。もはやエンスト状態。

途中、醤油ソフトやカフェなどをすべてスルーし、

4時間かけて30キロを走破。無事、土庄港に到着。

乗船時間ギリギリにフェリーに乗り、

無事に岡山県の自宅に戻ってきました。

観光スポットもグルメもほとんどなし。

ただただ自転車こぐだけになってしまった今回の自走旅。

やっぱり運動不足のおっさんが、

ロード乗ったからって超人になれるわけはなく、

日ごろの鍛錬が大事なことを思い知らされました。

次回はもう少し漕げるようになってから旅します、、、

 

 

 

 

 

Carry Meを買った‼しまなみ海道に行った!

Carry meがやってきた!

 私の趣味は自転車でありまして、
今日は自転車のこと書こうかなと。

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Carry me 買った‼

ひょんなことから、超小径車のCarry Meという自転車を購入しました。

私は車の運転が大嫌いで、電車で楽に輪行できる自転車を

検索しまくっていたのがきっかけだった。

タイヤが8インチと超小型で折り畳みも簡単。

縦置きでA4サイズに収まるというコンパクトさ!!

電車に持ち込んだ際、邪魔にならないので、

周囲の目も気にならない!

まさに探していた自転車でした。

しかもメルカリに程度のいいものが結構出品されている!

これは買いだ!!と思い衝動買いしました。

Carry meで走ってみた!

さて無事メルカリで購入したCarry meがやってきました。

到着した次の日に地元のアートスポット、直島へ行ってきました。

結果は全然走れませんでした。

車輪が小さく普通のロードやミニベロと同じ感覚で

漕いでいたら、すぐにスタミナ切れで走れたのはたった1時間、、、、

思いのほか進まず、坂ではほとんど降りて押してました。

そんな感じで地中美術館にも行けず、かぼちゃと記念撮影する

気力もなく、さっさと帰ってきてしまいました。

しまなみ海道走った!

前回の直島ライドがトラウマになり、しばらく押し入れの前に

置いたまま放置。

たまにコンビニ行くのに使ったりしていましたが、

折りたたむのがめんどくさくなり、全然乗らなくなってました。

そんなとき、インスタグラムで見た、

尾道のBetter bicyclesという自転車ショップが気になり、

先日急遽行ってきました。

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ベタバイTシャツとサコッシュ

電車輪行で行ってきた!!

朝6時に起きて岡山駅から輪行で行くことに。

平日でしたが、尾道行の電車は空いており、

Carry meもコンパクトなため、自転車を輪行するときの、

煩わしさも全然感じませんでした。

ボーっと車窓から景色を眺めながら、約1時間半くらいで尾道駅に到着。

降りるときに同じ輪行の人がいたりして、

さすが聖地だな!!とちょっとテンションが上がる。

下調べした通り、向島へ渡る渡船乗り場へ行くと、

めちゃくちゃ中学生が行列していました。

なんかオープンスクールがあるそうで、船が何分かおきに

くるけど、全然追いつていない。

20分くらい待ってようやく乗船したらと思ったら、

5分か10分で到着。早いな!!

向島の渡船乗り場でCarry meを組み立て早速出発!!したが、、、

やっぱり全然進まない、、そして熱い!!

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向島大橋

向島から意気揚々と出発したが、やっぱり全然すまない!!

前回の飛ばしすぎを反省し、ゆっくりゆっくり漕ぐことを意識して

漕いでるうちになんとか慣れてきました。

当然他の自転車には、バンバン抜かれていったけど、

このママチャリ以上ミニベロ未満の速度は結構癖になります。

ただ、暑い!!めちゃくちゃ暑い!

ちょっと走っては自販機に立ち寄りの繰り返し。

2時間かけてやっと因島大橋まで到着。

この時点でスマホでショートカットルートを検索する始末。

瀬戸田に行けばフェリーで尾道まで帰れる!!

因島からはもうフェリーだけが心の支えになっていました。

途中、お好み焼きやドルチェもありましたが、

全然寄らずただただ尾道でラーメン食べることだけ考えているうちに、

無事に瀬戸田港へ到着。

あっけなくしまなみポタリングは終了。

尾道に無事帰還!!

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JOHN Burger & Cafeのフィッシュバーガー

尾道まで約1時間のフェリーでの船旅で、

腹は減るし体はべとべと、、、

銭湯に行く気力もなく、尾道U2のコインシャワールームで汗を流す。

100円で 5分でるんですが、5分て結構長い。

フェリー乗り場から近いし、さっと汗を流すには十分でした。

おなかのほうは、汗を流した後、ハンバーガー食べたり、

尾道ラーメン食べたりして暴飲暴食、、

その後、念願のBetter Bicyclesへ。

しかし、もうこの時点でヘロヘロ。なんとかサコッシュとTシャツを

買って退散。その後、尾道から岡山まで輪行で帰ってきました。

もう少しゆっくりといろんなところを行けばよかったけど、

行ったらめんどくさくなり、早く家に帰りたいという気持ちがわくため、

旅行につくづく向いてない性格だなと思います。

ま~また気が向いたら、Carry meで輪行しようかな~。

 

 

高校留年、、、なんじゃそりゃ

はじめまして。

私のブログにきていただき、本当にありがとうございます。

現在、絶賛無職のニート中で、時間だけは無限にあるので、

前から書いてみたかったブログを書いてみようと始めました。

今もおそ松さんをみながら書いてみます(笑)

画面のなかではデカパンマンが活躍中です!!

 

まずはブログのタイトルの説明から。

唐突ですが、私、高校2年の時に留年しました、、、

はい、他人にあまり言うこうじゃありませんね、、

ましてや褒められたことでもない!

そんな人生つまづいてずっこけた高校生時代から、

自分を振り返ってブログ書こうかなと。

留年してしまった!!

留年したのは高校生2年ときでした。

私は、事の重大さに気づかず、

「どうにかなるっしょ!!高校中退したらカリスマ美容師目指すべ!!」

と鼻くそほじってました。

その後の人生は大変でした。そりゃあもう、、、

タイムマシーンあったら、当時の自分を50発くらいぶち殴って説教してやりたいです。

割と本当に。

 

留年した理由は、ずばり出席日数が足りなかったからでした。

高校生のときの私の趣味は、寝ることと音楽を聴くこと!

この2択でした。

中学生のころから朝が弱く、毎日のように寝坊をしていました。

そのリズムが変わらず高校生活へ突入。

毎晩深夜にBSの自然紀行的な番組を見ていたら、更に夜型に。

そしてある日、出席日数が足りずに留年、、、

なんとわかりやすいんでしょう(笑)

ちなみに音楽ですが聞いていたのは、表向きニルバーナやレディオヘッドでした。

しかし本当に好きだったのは、小室哲哉率いるglobeでした(笑)

盛大にかっこつけてこじらせてました。

もう今思い出すと恥ずかしい、、、

そして留年した後の高校生活

 そんなこんなで留年してしまった私は、

高校を中退するという大それたことはできず、

惰性でまた2年生をやりなおすことになりました。

幸いにも元同級生たちはまだ在学しており、

同級生になった後輩たちもいい人ばかりで、

かなり仲良くなりました。

2年生を2回やるのも悪くないな~と思っていました。

元後輩現同級生と、行き帰りに一緒に帰ってコンビニで買い食いしたり、

夏休みは泊まり込みで川に遊びに行ったり、

本当にできた人ばかりで、よくこんな私と仲良くしてくれたな~

と思います。

卒業できたのは、本当に周りの人のおかげだと思います。

 

最後に、、、

今になって思うのは、留年したとき中退しなくてよかった!!

と思いました。当時の先生の話だと、やっぱり恥ずかしさからか、

ほとんどの人が途中で中退したりするそうです。

留年して卒業できたのは、私で5年ぶりくらいとか言ってました。

本当は、3年生のときも出席日数が危うかったのですが(笑)

 

社会人になってからの話はまた後日書きたいと思っています。

次回もよかったら見てください!!

それでは!!